おいちゃんの森。

おいちゃんの頭の中。

ミホコに学ぶキャリア論

私には91歳の祖母がいて、名をミホコという。(→過去記事

今ではひたすらにのんびりとした生活をしているミホコだけれど、現役時代は幼稚園の園長としてバリバリ働き、その仕事ぶりから「鉄人ミホコ」と呼ばれていたらしい。(部屋に置いてあった祖母宛の手紙に書いてあった。笑った。)

孫の私から見ても、ミホコは優しいおばあちゃんというより、かっこいいおばあちゃんだった。

ミホコにとって幼稚園の先生であったということは大事なアイデンティティで、介護施設に入所してからも「幼稚園で使うから」と言って、使用済みの紙コップやトイレットペーパーの芯を集めていた。(実際には使われることはなく、私は「送っとくね」と言ってゴミ袋に詰めて捨てていた。)

 

先日、「おばあちゃんは幼稚園で働いていたときは忙しかったでしょう?」と話しかけたら

「私働いていたかしら・・・」と返ってきた。

 

私は、ついに仕事のことも忘れてしまったんだ、と悲しくなった。

前から自分の子育てや結婚生活の記憶はほとんどなくて、「とにかく幼稚園っきりだったから・・・」と話していたので、そんなミホコを切ないながらも誇らしく思っていた。

一生懸命に打ち込んできた仕事のことを忘れるということは、ミホコにとっても打撃であるような気がして、「もっと頻繁に会いに来て、昔の話をしていればよかった」と後悔の念が浮かんできた。

 

「だってすごい仕事がんばってたって聞いたよ、鉄人ミホコだったんだよ」と話すと、

「そうだとしたらそれだけ健康だったってことね。」と嬉しそうに言った。

 

今までの人生で成し遂げてきたこと。

それを忘れてしまうなんて切ないじゃないかと思ったけど、彼女にとってはそうでもないらしい。

 

我が家にはひいおじいちゃんのことから親の代までの色々がまとめてある『桜伝説』という本が存在するのだけど(この本についてはまた紹介しようと思う)、ミホコが現役時代に書いた文章もそこに残っている。

実はミホコは子供が好きというわけでもなく、戦後でなんとか働かなければならない状況で、たまたま紹介された仕事が幼稚園の先生だったらしい。

これらのことはどれ一つ、私にとっては全く意図しないことでした。ーほんの臨時のお手伝いのつもりで引き受けたことが、私のやらねばならぬ任務となり、いつのまにか、生涯の仕事して決して無意味なものではないという、いわば私のライフワークとし思えるようになっていたのですからー。

そして、自己のプランが突き崩されることで、神様の計画の中にいる小さな自分を見出す、と書いてあった。

ミホコの圧倒的な安定感の根拠は、神様への信頼だ。

 

与えられた健康を使って、与えられた使命のために尽力する。

私にはどんな使命が与えられているのか、まだわからないけれど、ミホコのように後から振り返ってわかるというものなのかもしれないと思う。

今自分に与えられた条件で、できることをやる。

自分の計画を超えたところで、どんな計画が動いているんだろう。残りの人生も楽しみである。