おいちゃんの森。

おいちゃんの頭の中。

世界は美しく、人生は楽しい。

もう4ヶ月前のことになるが、祖母・ミホコが亡くなった。

92歳、老衰だった。

 

八ヶ岳に雲がかかっていると、ミホコのことを思い出す。

ミホコは山に雲がかかっていると必ず、

「わたし、一度雲の上を歩いてみたいと思ってるのよ」と言っていた。

 

私が八ヶ岳山麓に住むことになった理由の一つは、ミホコが入所していた老人ホームがあったからだ。

特におばあちゃん子だった訳ではない。

大学3年生のとき、とにかく東京から出てみようと思った私は、おばあちゃんの近くに住むって言えば親も喜ぶし他の人からも良い人っぽく思われるだろう、といった感じで

移住先を八ヶ岳山麓に決めた。

 

そんな訳でミホコのそばに住むことになり、

日曜日にミホコと教会に行く日々が始まった。

 

認知症のミホコは、数分おきに同じことを言った。

「空がきれいね」「車がピカピカね」「あの花はなんて名前なのかしら」

 

ツバメの巣をいつも気にかけて(ホームの玄関に毎年ツバメが巣を作っていた)、

道端に落ちているゴミは躊躇なく拾い、

小さな花も踏まないように気をつけて歩いた。

 

ミホコと外出することが、全く負担じゃなかったと言えば嘘になる。

どうにも面倒で、足が遠のいた時もある。

 

それでも、ミホコと時間を過ごしたあとは、

空がきれいで、車はピカピカで、花は可愛くて、

世界がもっと素敵なもののように感じた。

  

時が経つにつれ、私が孫であることも、今日が日曜日であることも、

たった今教会に行ったということも忘れてしまうようになった。

体力も衰え、歩行器が必要になり、それが車椅子になり、

一緒に外出はできなくなった。

最期は食事ができなくなり、声が出なくなり、骨と皮みたいになって、

静かに息を引き取った。

 

老いも死も、切ないけれど、悲しいけれど、

うれしいような、誇らしいような気持ちだった。

ミホコの葬儀は、感謝に満ちたあたたかい時間になった。

 

私は今、生きてるのが楽しいのよ。

世界は醜く、人生は生きるに値しない。

92年の人生の中では、そう思うこともあっただろうか。

どうなんだろう。

 

世界の美しさを見失わないこと。与えられた人生に感謝して楽しむこと。

ミホコが教えてくれたこと。

ミホコが遺してくれたもの。

 

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。Ⅰテサロニケ5:16〜18 

 

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